2002年12月22日午後2時〜5時、東京某所で甄子丹とファンの集いが開かれた。
ことのはじまりは、ドニー・イェンさんからの「今年の夏か秋くらいに2回目の集まりをしない?」というメールであった。
※ 1回目は2001年2月4日に開催済み。
ところがドニーのスケジュールがなかなか確定しない。
映画界の人だからそれは当たり前のことなのだろうけれど、ビッグパーティー(ドニーの希望)をするためにはかなり前から期日を決めておく必要がある。音響設備が整っていて、リーズナブルで、交通の便がよい会場は滅多にないのだ。
そういうわけで、借金取りのごとく、ドニーに早く期日を決めるようせっついたのでありました。押したり引いたりそれはもう大変な騒ぎでございました。(軽い気持ちで提案したのだろうに、気の毒なドニーさん)
やっとこさ期日が確定したものの、その期日とは「英雄」公開直後の日。土壇場になって配給会社から香港に留まるよう依頼される可能性がないわけではない。ドタキャンもありうるとの前提のもと、「ドニー・イェンが来るかもしれないパーティー」という副題を付けて広報した。正確には「ドニー・イェンが来ないかもしれないパーティー」だったのだが。
当日(12月22日)の朝、ドニーのお友達からの電話により、ドニーは昨日来日したこと、今朝はすでに仕事をしていることを知る。「ドニーさん、やっぱり忙しいんやなー」と思う。
午後1時すぎにバンケットルーム(会場)に行くと、すでに谷垣健治さんがおいでになっていた。幹事さんは谷垣さんと打ち合わせ、各スタッフ(私を含め8人)は会場準備をはじめる。1時30分から受付開始。受付では今回のパーティー用に作製したパンフレットと参加者名簿を渡し、席順くじをひいてもらった。(このパンフレットと席順くじが、それ自体お土産になるような素晴らしいグッズなのだ。)
そうこうしているうちに、ドニーが車で会場に向かっているとの連絡が入る。幹事さんは会場で「いま、ドニーが会場に向かっているところです」とアナウンス。途端に歓声があがる。その声を聞いて、このパーティーをやってよかったなあとしみじみ(←まだ、はじまってないんですけど)
午後2時直前にドニーとアシスタントのヴィンセントさんたちが到着。会場の外で出迎えた私に向かって「また、お会いしましょう」(日本語)と満面の笑みで、いきなりギャグをかますドニー。そんなドニーはひたすら美しかった。まぶしくてまともに見ていられないほどだ。それはともかく、返答に困って「いきなり(さよなら)ですか?」とツッコミをいれてしまう私。
さてさて、ドニーはにこやかにファンの待つ会場に登場!
この後は、ドニーの挨拶、質問大会、ビデオ上映、サイン会を3時間にわたって行ったのであるが、どのようだったのかあまり覚えていない。参加者の方々の各サイトのレポートを読んでいただければと思います。
3時すぎには食事と飲み物(フリードリンク)が出たので、ビールをしこたまいただきました。うまかった。
サイン会は、ファン全員に、ドニーからのプレゼント(「英雄」プレミア生写真7枚組み)が配られ、サイン1枚、ツーショット写真1枚という手順でした。60人もいるので、1人1分としても1時間かかってしまうのだ。(ファン自身が企画・実行する集いは60人が限界かもしれぬ。それ以上になると「ふれあいタイム」が十分取れないから)
最後の最後にドニーのたっての希望で、ドニーの同行者ヴィンセントさんや下村さんにより全員集合写真が撮影されました。ツーショット写真よりも嬉しい品です。
ドニーは「また、来年会いましょう」とご機嫌麗しく去っていきました。
ドニーさん、谷垣さん、下村さん、ヴィンセントさん、Hiroさん、谷垣さんの会社の社長さん、Pさん、幹事さん、スタッフのみなさん、そして参加者のみなさま、どうもありがとうございました。
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